運動の質 or 自立度?〜機能回復でなく、安易な代償の先には〜

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from Bridge Member 作業療法士 後藤 紀史

僕らセラピストは、病気や怪我により、生活することに何かしら支障が出ている患者さんに関わる機会が多い。

セラピストの役割・リハビリテーションの意義とは?

リハビリテーション rehabilitation の語源

re(再び)habilis(適した)ation(にすること)、つまり『再び適した状態にすること』を意味する。

さて、この「適した状態」が難しい。

 

動きの質(見た目、力加減、速さ、正確性など)が以前の動きに近くなることだろうか?

自立度(他人の助けを借りずに自分で行う←今回指す意味)が以前と同じようになることだろうか?

 

もちろん、両者を追い求めることができれば、それに越したことはない。しかし、入院中の患者さんに関わる中で、まだ機能改善半ばの状況で「生活を変える」、つまりステップアップを目指すうえで、どちらを優先するか、選択を迫られることも少なくない。

 

「機能回復を優先し、効率的な動きの質の獲得に拘るのか?」

または

「残存した機能で自立度を優先し、代償的な戦略を用いるのか?」

 

今回は、この選択で、何を考慮していくのか?という自分なりの考えをお伝えしていく。

 

セラピストが残存機能を把握し、適切な代償の程度へ導く

セラピストの中には、「代償は悪」「代償に逃げるのはセラピストとしての敗北」と考える人もいるだろう。

しかし、入院中の患者さんの多くは、機能的な問題も抱えた状態で入院生活を送っている。そんな中で、その失っている機能を全く代償は使わずに、「動きなさい」「生活しなさい」というには無理がある。

 

そのために、セラピストに求められるのは「残存機能の評価」である。

 

患者さんの多くは、病気や怪我により、思い通りに動かない身体や、痛みや違和感、恐怖心などから、身体を動かす、生活行為を行う方法に混乱している。そんな中で、今足りない分だけ、適切な程度を代償しながら動く・生活するのは難しい。

 

そこでセラピストが、そのお手伝いをリハビリの時間の中で、経験として提供できることが望ましい。

 

まず、残存機能の評価のためには「顕在機能(今自分自身で引き出せる)」と「潜在機能(能力的には持っているが引き出しきれない)」の把握が必要である。そこが評価できなければ、「適切な程度」の判断ができないからである。

 

残存機能に適した、今足りない分だけの、「一時的な代償」動作の使用は自分は良しとする。それすら封印すると、生活や活動の範囲の拡大を図ることが難しい。

 

代償動作を悪とし、動きや活動自体を制限するということは、常に「廃用」の要素と、「動きの質」に拘る意義を天秤にかけなくてはいけない。

廃用は、単純に関節可動域や筋力といった身体面における要素だけではなく、「主体性:自身で何かに挑戦しよう」といった心にも影響を及ぼすといったことを忘れてはいけない。

 

しかし、早期から代償動作を良しとすると、それが癖のように染み付くことを危惧するセラピストもいるだろう。

それを予防するために、患者さんと何を共有すべきだろうか?

機能回復に合わせて代償の程度を減らしていける調整ができるようにするには

「今、◯◯を△△することで補っています」

ということの共有しておくことが大事である。

それができれば、リハで◯◯を訓練していき、その◯◯の回復を経験を共有することで、生活で△△して代償することを減らしていくこともスムーズに進むだろう。

 

代償における「目先の利益」と「未来の不利益」を情報提示し、協議する

患者さんによって、「機能回復(動きの質)」「自立度」など、何に価値を置いているかはその人によって様々である。

「麻痺側の少し脚に力が入り、ピクッと動く」よりも「非麻痺側の脚で立ったりするけど、トイレに1人で行けるようになる」という生活の変化が嬉しい人もいる。逆も然りで、ちょっとした変化だけど機能的な変化が嬉しい人もいる。

今の身体・生活状況で、何を優先して、選択していくかの決定権は患者さんにある。

しかし、代償に関して言えば、患者さんは「代償の先にあるもの」が予測できていないうえで、選択している人も少なくない。

 

例えば・・・

今、麻痺側を使わないようにして、非麻痺側で代償的に頑張って動けば、確かにトイレには1人で安全に行ける。

しかし、この時期から非麻痺側のみで努力的に動くことを繰り返すことで、後々、麻痺側の脚で踏ん張る力がつきにくかったり、麻痺側の手が握り込んで使うことが難しかったりすることも予測される。

 

この予後的な面まで考慮し選択することは、患者さんには難しい場合が多い。そこを伝えるのもセラピストの役目である。

「目先の利益」と「未来の不利益」を説明したうえで、患者さんと今どういうことに拘っていくかを協議して「選択」をしていかなければならないだろう。

 

安易な代償はいずれ制限を生む、「治せる機能は治す」は常に念頭に置く

動きの質ではなく、「自立度(生活の変化)」に変化に価値を置く患者さんも少なくない。

主体的に自身の生活を遂行することは素晴らしいことである。

しかし、不自由が生じたり、できないことに直面したりしたときに、安易に残存している身体機能で代償できるからと、その方法で解決をしていくと、生活や活動範囲が拡大していく中で、いずれ、できない生活行為(作業)が出てきて、限界が来る。

そうしたら、今度は環境を自らに合うように調整することで対応して、なんとかできるようにして、乗り越える。

すると、今度は整った環境でしか自立できないといった活動範囲に制限が出てくる。

作業遂行(生活行為ができる)が環境に大きく依存すると、外出に制限が出やすい。自宅環境と違い、一歩外に出ると、なかなか自分にあった環境を調整・設定することは難しいものである。

そうすると、人的な環境である「介助者」が必要になり、介助者の能力や時間的余裕、そして、介助者に対する遠慮などから、作業遂行に支障が出たり、それに対する主体性が失われていく結果を招くこともあるのである。

 

 

いかにその人が望む生活が成り立つように包括的に支援を模索することは大事である。

「代償動作」は手段である。それは、身体的な残存能力での代償も、環境調整的な代償も。

そして、「機能回復」も手段である。

そこの手段の選択に優劣はないと思うが、セラピストとして、「機能回復」の選択肢を軽視してはいけないし、自分の知識・スキルのなさが、その「機能回復」という選択を躊躇させる結果になってはいけないと思う。

 

だから、セラピストは

「解決できる機能は先延ばしにせず、早めに解決できるに越したことはない」

というコンセプトは忘れてはいけないだろう。

特に、発症や受傷から間もない時期の方が、機能回復が良好なことは皆も知ってのとおりだろう。

 

自立度を上げて、主体性を賦活し生活を活性化することも大事。

治せる機能は治すことに挑戦していくことも大事。

その人に一番意味のある「選択」ができるように、専門職として助言できることが、パートナーとしてのセラピストの役目だろう。


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