意識と無意識とリハビリテーション

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運動は意識させるか、無意識に行うべきか…議論の的ですね

もちろん両方必要ですが、リハビリテーション専門家には、患者さんに意識させることが重要と考えております☆

それはなぜか

少し、長い文章になりそうです(意識とは何だろうを参考にしてます)

もともと、人は不適応な事柄に対し、自らを適応(馴れ)していく力を有していると思います

例えば、明るい部屋から、急に暗い部屋に入ったとき、最初は眼がついていかず、見えにくいですが、徐々にある程度見えやすくなったり

また、痛みに対して、慣れていったり、職場の環境になれていったりと、

さまざまな場面で、人は環境に適応していこうとします

もちろん、患者さんも同じです

急な自身の脳・身体の変化に対し、今まで培ってきた来歴(経験や記憶など)を使って

今までと同じように環境に適応することができない

そんなとき、患者さんは感じるはずです

意識に上るはずです

自分の身体の変化を

これは、つまり環境に対して、不適応な状態を示します

生物として、環境に適応できないことは、死を意味します

しかし、人には優れた環境適応能力があるため、なんとか試行錯誤して、新たな身体図式、新たな内部モデルを創り、自己組織化していきます

これが、脳の役割とも思っています

経験してない環境に対して、柔軟に対応・適応できる能力

これが意識と無意識とどう関係しているのか?

その前に、現在の脳神経科学の研究手法から解いていきたいと思います

 

 

今までの神経科学の研究手法は、要素還元的で

 

 

おおざっぱに言えば、脳機能のうち、末梢的なもの、受動的なものを削ぎ落としていけば

 

いづれ、能動的なもの、主体、そして意識が残るはずだという考えで、脳の解明を行ってきました

 

 

 

 

しかし、この従来の研究手法では、能動的なもの、意識(主観)は解明できない理由があります

 

(だからこそ、脳科学の行き詰まり感を言う専門家もいる)

 

 

なぜなら、脳を調べる際に、必ず研究者側からの刺激をして、機能を調べているからです

 

 

これでは、かならず脳の受動的な部分しか調べられなのです

 

 

 

例えば、自発的な眼球運動の中枢というものが、存在したとします

 

つまり、ここを刺激すると、首尾よく眼が動いたとか、この部位から眼球運動ははじまる、だからここが能動的な眼球運動の中枢だと分かったとします。

 

しかし、これは受動的な眼球中枢とどう違うのでしょうか?

(眼球運動の受動的中枢を刺激した時と、どう違うのか?)

 

 

人間を人間らしくする高次脳機能はほとんどすべて、本質的に能動的なものです(運動に対する意図的な行為や志向性をもった知覚など)

 

 

つまり、脳内を細かく調べていっても、主観的なもの(意識)や能動的なものは見つからず、蒸発してしまいます

では、意識はどこにあるのか?

 

脳-身体ー他者・環境との相互作用の中にあります

例えば、普段意識していない事も、人に言われたりすると、自分を客観的に見て、そうなのかな?と考えたりしますよね

脳-身体を、他者-環境から切り離して、部分的に調べていっても、先ほど言った通り、意識にはたどり着けません

まずは、意識というのは、脳の中を細かく言っても、現状では解明は難しく、

 

脳-身体-他者・環境の中に存在するとします

次に、意識と無意識ですが

まず、意識と無意識は完全に分けることができません

意識と無意識をイメージすると、下のような感じです

意識が頂点にあり

その下に前意識レベル(周辺意識)

そして無意識とつながっていきます

周辺意識(前意識)とは、簡単に言えば、注意を向けると意識に上らせることができるものである

例えば、車の運転中、物事を考えていると、運転していることに全然気が回らないこともありますよね

でも事故を起こすことなく、いつの間にか家の近くまで来ているという経験は誰にでもあると思います

このとき運転していることは完全に無意識ではないと思います

何かきっかけ(例えば信号の色が赤となんとなく認識した)でまた意識に上り、運転に集中できたりします。

そして今まさに考えてたことは周辺意識まで下がります

1つ念を押しておきたいことは、この意識ー周辺意識ー無意識の境目は曖昧です

無意識とは(もしくはより、無意識に近いということは):機械的、受動的、意図にかかわらず生じやすい

 

 ⇒科学的方法で証明しやすい。つまり今までの脳神経科学での手法で解明されやすい部分

 

 

意識:簡単にいうと、見る側の主観。つまり本人の行動の外からの観察者による認知

これらのことから、なにが言いたいかと言いますと、

この下の図でも同じようなことが言えると思っています

この図は一度は見たことがあると思います(ルビンの壺です)

どちらが、見えているでしょうか?

グラスのうようなものでしょうか?二つの顔でしょうか?

例えば、白のグラスが強く見えているとします

すると、黒の二つの顔はなかなか認識しづらいですよね

このとき、白のグラスを「図」、黒の顔を「地」と名づけましょう

この「図」と、「地」は注意の向け方によって逆転します

つまり、「図」が「地」となり、「地」が「図」となるように

ここで言う、「図」とは意識のことです

そして「地」とは周辺意識のことです

例えば、なにかにはっと気付くとき。それは意識できた時点を指しますが、

それは、その前の段階から無意識に今までの経験が呼び起され、周辺意識を形作り、これが「地」として潜在的に形成したからこそ、気付くときは意識として(つまり図として)浮かび上がるのです

ここで言いたいことは、意識と無意識は連続的なもので、

意識が浮かび上がるときは、無意識(=来歴)によって初めて、意識できるようになることです

最後に、リハビリにつなげていきたいと思います

普段の動きは、脳でつくられるプランと運動結果が一致しているため、身体を意識することはありません

でも意識することもできます

つまり普段私たちはの身体は「地」として表象され、周辺意識(無意識に近い)と、とらえることができます(プランと結果が一致している)

では、どうしたら意識に上らせることができるか?!

それは、プランと結果のずれが重要と思います

リハビリテーションで意識させるということとは

現状の状態より、より良くするために

 

 

 

歩行を例にとります

なんとか歩けるようになった患者さんがいるとします

現状の歩行より、より楽に歩けるようになるためには

今の、無意識レベルに近い「歩行」を、一度「意識」に上らせることである

背景の「地」としてあった歩行を、「図」に移すことでもあります

これには、予測した運動と結果の不一致が重要になります

適切な注意が向いたときや、自分の思っていたことと違ったときに、周辺意識から意識へと上らせる要因なります

これは、つまり患者さんに、環境の不適応を実感させることでもあります

 

 

 

 

その意識には必ず他者が必要です

脳ー身体を介した、他者・環境とのかかわりが必要です

セラピストが必要ということです

そして脳は、その不適応に、適応してい力を有しています

 

 

 

脳、身体の変化によって、プランと結果が食い違う(今までの来歴では環境に適応できない)

 

すると、身体が「図」として意識されることになる

そして徐々に自己組織的に適応していくことで、意識化された身体「図」が、また背景の「地」に周辺意識へと、より無意識的な位置に戻る

 

 

 

 

脳は楽な状態を好みます

できていることに対し、そうそう意識することはありません

言い換えれば「地」にあるものを、「図」に表象しようとは思いません

セラピストが患者さんに、意識させ、問題点を提示するということは

新たな環境適応機会を与えていると同じと思います

現状から一歩良くなるために

自分はこんな風に、意識を捉え、だからこそ臨床で必要な事だと感じています

よくまとまらない感じですが

「意識とは何だろうか」を見て頂いたほうが、とても分かりやすく載っています!良書です☆


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