運動学習と脳 7


お疲れ様です♪

今週末は「体幹」の勉強会、来週末は畿央大学でのニューロセミナー♪

久々の勉強会にわくわくしてます

さてさて、今日は臨床での「意識」について書きます

臨床で、患者さんに意識をさせますか?


どんな意識をさせますか?

これは賛否両論があるかと思いますし

必ず意識をさせてなければいけないわけでもないし、逆に意識がないと学習も乏しいと思っています

単に「意識」といってもいろんな形があるかと思います

例えば

①「ここに力が入っているか確認しながら~」・・・筋肉の収縮に意識を向ける

②「この障害物にあたらないように~」・・・視覚的に外部環境に意識を向ける

③「このテッシュペーパーが踏み潰す感じに~」・・・体性感覚的に外部環境の変化に意識を向ける

④「足の裏に、ぐっと力が入る感じに~」・・・体性感覚的に内部環境の変化に意識を向ける

⑤「お手玉を前の箱に入れて」・・・箱にお手玉をしっかり入れられるか、物体と運動の結果に意識を向ける(これも視覚的に外部環境に意識を向けると同じですが)

⑥「歩きながら(or計算しながら)、話をする」・・・話をすることに意識を向ける(歩く方への意識を減らす)

意識」を「注意」に変えてもいいです

一概に意識や注意を向けるといっても

何に対して、どんな風に注意を向けるかで、全然違ってきますね

ただ、自分たちの運動は②、⑤、⑥が多いですね

しかもそんな意識っていうほどでもないですよね。

当たり前にこなしているかと思います

ましてや、③、④なんてしながら運動したら、ぎこちない運動になるのは目に見えています

学習した動作に意識をすれば、ぎこちなくなるのは当たり前です

意識することで普段より、脳で情報処理する量が増えますし

そもそもぎこちなくなるというのは、自由度が減ったということです

例えば、サッカーの初心者は体ががちがちです

これは動き方が分からず、過剰に意識をしたり、身体を固めて、なんとか「パス」や「シュート」とという行為を達成させるためです

パスがだいたい思うようなところへ出せるようになれば、自然と身体の力も抜け、自由度の多い、柔軟な、応用力のある身体へと変わります

これが健常者の運動学習ですよね!

自身の身体に注意を向けなくても、外部の変化に対応して、よりよい運動をつくっていけるのが自分たちです

患者さんもこれと同じようにできたら、何も言うことなしですよね

できないから自分たちが存在できるわけですが

ただ、自分たちの日常を考えてみたいと思います


自分たちの行為や行動が変わるときはいつですか?

「君って、以外と物を大事につかわないね」

とか

「よし、今年は筋トレしよう!!」

など

なにかのきっかけがありますよね!!

人から注意されたからかもしれないし、誰かから影響受けたかもしれないですし、好きな人が筋肉フェチだったかもしれないですし(笑)

ただ、何らかの「刺激」や「気付き」があり、意識をすると思います

普段、なにげない、無意識の生活の中で

自分が思っていたこととは違った気づきや、興味をそそられるような出来事が刺激となって、変化のきっかけをつくります

すると人はその目的にそって意識して行動します・・・よね

「あ~道具はきちんと使わないとな。」

「今日は筋トレ日だから、早く帰ろう」

など

人の行為とは目的・意図が存在するのです

ただ、単に手を伸ばすのではなく、そこに伸ばすべき対象物があるから、手を伸ばすという行為が生まれるのす

もしくはそのものが食べたいもので、おなかがすいている自分がいるから、食べたい情動が喚起され、手を伸ばすのです

自分たちの日頃をみても、分かると思います

変わるということ


それは、自分から動くということです


そして今までとは違う、新しい経験をすることです


その経験に報酬があれば、さらにその行動をするでしょう

患者さんも大きくはこれと変わらないと思っています

「気づき」があり、自分から動いて、新しい経験をして、それを学習していく


もちろん、できない部分をセラピストが助ける

「意識させる」とは気づき・変化を与えるために必要です

全く無意識で、なんとなく変わることもあるかと思いますが、それは少ない変化かなと思っています

意識させた方が、より早く、より大きな変化を与えられると考えています

ただセラピストに身体を動かされている患者と、セラピストがいないくても適切な自主トレを自分からする患者

ただ漠然と臨床をしたり、漠然と講義を聞いている人と、自分から疑問をもち、自分から情報を手に入れようとしている人

2つのことは共通し、雲泥の差が生まれると思っています

こんな風に考えると、患者さんも自分たちの日頃もそうたいした違いはないのではないでしょうか

ただ患者さんは、身体に障害を負い、動き方がよく分かっていないということです

だからセラピストは、動き方のきっかけをつくり、新しい経験をさせる役割があるから、必要な存在です

患者さんに、気付きを与え、能動的な姿勢をつくり、学習するための手助けをする

これってとても当たり前なことですが、しっかり自分が実感していないと、普段の臨床ではあらわれないと思っています

人間の行為には意図があります

さて、患者さんは訓練の目的をしっかり理解していますでしょうか?

人間の学習された行為から、変化を与えるためにはなにかしらの気付き・きっかけがあります

さて、患者さんに気づきを与え、新規な経験をさせることができているのでしょうか?

大変長くなってしまいましたが

自分はよく、身体に意識を向けて良くなりそうな人には、身体に意識を向けさせることもします

健常の方ならぎこちなくなることでも

動き方が分からない患者に対しては、良くなる人もいます。そういう経験を自分は実感しているので、こうやってアウトプットできると思っています

臨床で経験。これは自分の身体で経験していることです

頭の中だけで理解しても、臨床では通用するか分かりません

頭で分かったつもりでも、体で分かってなければ、本当に分かったということにはならない

自分の身体を通じて、何事も経験しないといけないと思います

普段の自分たちは、行動してなんぼです。頭で損得や不安を考える前に、行動しないといけないです。経験しないと分からないことも多いです

患者さんも、異常筋緊張が高くなるから運動を制限する前に、運動経験を与えることも時には大切です

もちろんただやみくもに動くのは良くないです…というかそれなら自分たちはいらないです。介護士さんでもできます

要はバランスですね!人も脳も。

次回は、身体に意識を向けるとか、体性感覚に注意を向けるということが、どんな意味を持つのか

また次回具体的に書いていきたいと思います!!

大変長文でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございました!!