脳祭り5


お疲れ様です、

オリンピック白熱していますね・・・ただ今日は知る人ぞ知るサマージャンボの抽選日笑

最近はなかなか脳祭りの資料・スライドが進まないので、一度整理したいと思います。

その前に以前まとめた「脳画像の資料」のメールを最近でも頂くことがありましたので、もしご興味ある方はメールを頂ければ、資料をお送りしますので。

↓を参考

http://ameblo.jp/nyu-roriha-world/entry-11117001558.html

さてさて、最近思うところは、やはり学習、記憶、原則原理みたいなことですかね

リハは「患者さんが体の使い方を覚える」のが1つ重要なことです

まさに学習、手続き記憶が起こっているのです

僕の考える最も重要な事は、「1人称の経験」です。

いくら、言葉で理解しても、いくら鮮明なイメージができたとしても、1人称の経験なしに運動はできません。

1人称の経験とはいわゆる実体験です。リハ用語で言えば、「いい反応」です

つまり、いい反応なしに、言葉やイメージなどの認知的部分は意味なしえにくいと思っています。

とかく身体運動はそう感じています

例えば、東日本大震災もテレビやマスコミで報じた3人称の情報で、被害状況は頭では分かるかと思います。

映像を見ても「あ~ひどいな~」ともちろん感じ取ることはでき、他の人に伝えることもできます

ただ、そこには1人称の経験が欠如しているのです。

そう、実際に被害のあった東北に足を踏み入れていないわけです

人は体験を通じて記憶をつくっていきます。体験の中に強い情動が引き起こされれば記憶もされやすくなります。

もし、東北の被害を実際の体で感じてみたら、きっと

悪臭、がれきの音、広がる光景、そしてその時の身体感覚・・・言葉では言えない感覚を身体で感じるでしょう

そんな5感を通じた実体験があって

本当の意味で被害が「分かる」になるかと思います

それが知識として知っていると、体で知っているとの違いになるのではないかと

だから、経験者は語るという風に、経験者の言葉はとても重くなるわけだし

経験者は同じ境遇の人の共感も持ちやすいわけです

その実体験があって、認知的な3人称の情報が重みづけされるかと思います

だからリハでも、やはり「いい反応」を患者さんが実体験することがまずは原則です

ハンドリングが重要視されるわけはこれだと思います

ただそのいい反応=実体験=1人称の経験というのは

本人が能動的に試行錯誤しないとなかなか身につかない、つまり記憶としてなっていきません

だから手続き記憶とされる身体経験も、注意障害がある人・ない人では効果も違ってきます

本当に無意識による身体学習なら、注意障害の有無で反応は変わらないと思います

まぁここは後にしまして

先ほどの1人称経験は「試行錯誤」のたわものと言いましたが

この脳科学を臨床に、しいては個人の臨床も全く同じです

どんなすごい概念や先端の知識を3人称的な教科書、講義で知ったとしても、それはあくまで頭で知ったということで、実際には知らないのです。

つまり臨床で使って、自分の中で解釈していく自分自身の身体を通じた試行錯誤があって、初めて知識が使える=本当の意味で知るということになっていくと自分は考えています

だから患者さんにも、言葉であーだこーだ言う前に、実際に経験をさせることが大切といった次第です

そんな経験が

「痛くない」、「楽」、「歩きやすい」などの情動が強ければ強いほど、記憶されやすく

そして、そこに注意・言語・イメージが寄与することとさらに良いわけです

ただ、1度や2度の経験でものにできるほど甘くなく

そこには自分で経験していく=試行錯誤、量というものがとても重要なります

ただ単に先輩に教わった治療を試すだけではいけないというわけです

試して、考え、違う人にも応用して、うまくいかない時は考えるなどの試行錯誤の1人称経験なしに、自分の治療スタイルは作れないのと同じように。

だから患者さんにも「いい反応」が出たときには、多少ほっとくようにどんどん自分でやらせる提供も重要かなと思います

僕らは「いい反応」だけを出したいかもしれませんが、その「いい反応」は患者さんには分からないわけです

つまり、悪い反応といい反応の違いがあっていい反応が知るように

多様な身体経験を通じて、いい反応といわれる動きを患者さんは獲得していきます。

そう、多様な身体経験を試行錯誤に経験することが大切なわけです

CI療法ってまさにそれです

課題を何度も反復して、試行錯誤の中から、無意識的にいい動きと違う動きを知り、より速い、より楽な、より滑らかな動きを学習していく

その中に情動や認知の部分が強く影響し

エビデンスレベルの高い治療法になっているのではないかと思います

でも、しかしです。

矛盾と感じる方もいると思いますが、

手続き記憶というのは、とかく「無意識」「言葉ではいえない身体経験」と表現されやすいですが

これだけではありません。特に脳卒中患者さんでは、情動や認知が手続き記憶=身体運動に強く影響します

つまり、あんだけ身体経験といっておいて、やはり情動・認知の部分は運動に欠かせません。というかリハビリに欠かせません。

自分らも何かスポーツを習うとき、ある程度の量は確実に必要ですが

イメージしたり、内言語を使ったり、試行錯誤したり、注意の位置を変えてみたり、時にはやる気に、時には萎えたり

と、自然に認知的要素、情動的要素を使っているのです。

そんな自分をメタ認知していないだけで、スポーツをうまくなろうとしているときは自然とやっているのです

患者さんでは麻痺や感覚障害があれば、なおさらその要素が運動に強く影響することはイメージできます

だから運動や脳をシステムとして見ることが大切かなと考えています

だから、目の前の患者さんに自分は今、どんな経験を提供させたいのか?

もちろん即時的だけでなく。

僕は、今よりも楽な動きをなるべく患者さんが実体験できるように、評価-治療します。そして楽な動きができたら患者さんと共有します。

その前に問題点の共有と治療の説明もあったらベストですね。説明はホント大事。

そして、能力の高いというか認知的要素が使える方なら、言語や注意、もしくは自分の身体に注意を向ける、自分で少し考えてやってもらう、自主練習とかよりレベルup図れるような対応をします。

しかし90歳の頸部骨折のおばあちゃんに難しいことを言っても、それはこっちのエゴなので、僕は

「少し楽に歩けるようになったよ」と言われたら

素直にそれを共有するだけで十分かと思っています。小難しい理由や小難しい身体への注意なんか必要ないかな~と。

良くなったら良くなったでまずはいーじゃん。それを笑顔で「良かったですね~」と一緒に共感する

結局は目の前の患者さんに合わせるが原則ですね。

最後まで読んで頂きありがとうございました。結局脳祭りはどうなることやら(笑)