セラピストに必要なセンスとは何か?

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そもそもセンスって何?

「その人はセンスが良いから」「私はセンスがないから」

そんな言葉を耳にすることがあります。

絵を描く、スポーツ、ゲーム、音楽、ファッションなど様々な場面でセンスという言葉は使われています。

 

基本的にセンスが良い、という言葉を使う時には良いイメージしかないくらいですね。

 

 

セラピスト同士の会話でも、

「(後輩の)あの子はセンスが良いよね〜、すごく患者さんと関わるのが上手」

「あの人は、患者さんの触れ方が上手くてセンスが良いよね」

なんてことを耳にします。

 

ではセンスの意味を確認してみましょう。

センス:Sense

 英語で五感の意味。転じて、美的感覚感性のこと。才能と似た意味である。

(Wikipedia)

 

上記のような感性、先天的な才能をイメージしますよね。

 

産まれながらに持っている才能=センス

 

みたいな。

 

センスについての僕のツイート。

 

 

とこんなことを考えてました。

 

センスないからしょうがないよね。

センスある人はうらやましいよね。

だって先天的なものだから今更求めても無理だよね。

 

というネガティブな言い訳にしか聞こえない…

 

でもセンスってほんとに先天的?生まれ持った才能なの?って思うわけです。

 

そんな時に、この本に出会いました。

センスは知識からはじまる。

 

この本の中で、センスはこう定義されています。

 

「センスのよさ」とは、数値化できない事象のよし悪しを判断し、最適化する能力である。

(水野 学:センスは知識からはじまる)

 

大人気の服や有名ブランドの服を着たとしても、似合う人と似合わない人が存在します。

また安いTシャツであっても、全然安い服には見えない着こなしをする人もいます。

 

高い服=センスが良い

 

とはならないんですね。数値化できる価格が高ければ高いほどセンスが良くなる、というものではないんです。

またいくら似合うTシャツを着ても、それを冠婚葬祭の場で着ていればセンスがないどころか常識がないというレッテルを貼られます。

時と場合、相手、状況によってそこで求められる要素を見つけ出せること、もセンスといって良いのかもしれません。

 

セラピストに求められるセンスとは?

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では、セラピストに求められるセンスとは何でしょうか?

ここでまた僕のツイート

今回は触診を例に挙げています。触診がただできるだけでは、実際に今の筋の状態を評価することはできてもその状態が良いのか、悪いのかを判断できることにはならないわけですね。

ただ触診ができなければ、良いのか悪いのか判断する材料すらないわけですが。

筋のリラクゼーションや促通が上手なセラピストは、介入中の患者さんの筋のリアルタイムの変化を常に感じ取るだけでなく、その変化が良いか悪いかを判断し、課題の継続や修正を常にしていると思います。

 

本を読めば高緊張や低緊張について書かれていますし、防御性収縮など筋の状態についての説明やそれに伴う異常なパターンについて知ることはできます。ただ実際に目の前で何が起こっているのかを把握し、その状態の良し悪しを判断していくのは、担当セラピストであるあなたにしかできません。

こうゆうことですね。

 

また世の中には様々な治療理論や手技があります。

 

がセンスの良いセラピスト、という視点で考えると、

ある手技が抜群に上手いセラピスト=良いセラピスト

とは言えないはずです。

 

すごく技術の高いセラピストであっても、患者さんの信頼関係を作れず、患者さんに拒否されていてはその技術は活かされることはありません。

 

むしろ新人さんでも、その患者さんの心を開いて、新人さんなりに考えた課題を患者さんが積極的に取り組んでくれた方が、最終的な結果が良いこともあるはずです。

 

じゃあ知識・技術がなくても、コミュニケーション能力を磨いて、患者さんの心を開かせることができたら良いのね!!!

 

ってことでもありません。

 

心を開いてくれた人にとっては、より多くの知識や技術を持っているセラピストが担当した方が、より良い結果につながる可能性が高いからです。

 

知識や技術はあるに越したことはありません。

またその知識や技術を活かすためにはコミュニケーション能力が必要です。

患者さんが上手く言語化できない部分を見つけ出すための観察や評価能力も必要です。

 

そういったことを総動員して、

 

常に目の前の患者さんに必要なこと、患者さんが必要としていることを見つけ、それを阻害している問題の解決につながるための課題の提案・実践ができること。そしてその課題の最中の患者さんの反応の一つ一つの良し悪しを判断しながら、課題を常に最適化していける

 

ことがセラピストに求められるセンスということではないでしょうか?

 

そう考えると、センスの良い悪いというのは先天的なものでは決してないはずです。得た知識を、常に目の前の現象やその後の結果と照らし合わせながら良し悪しの判断につなげるという繰り返しこそがセンスを養うきっかけになるはずです。

 

センスを磨くには?

センスとは、知識にもとづく予測である。

(水野 学:センスは知識からはじまる)

 

素晴らしいセラピストに「なんでそこが問題だと思ったの?」「あのアプローチにしようと思ったの?」と聞くと「何となくそう感じた」みたいな返事をされることがあります。

 

東京の●トロークラボの金●さんとか。笑

 

あの人は天才で変態だからね、と片付けてしまっても、神と崇めてもしゃあない訳ですね。神と崇めても●子さんのようには一生なれません。

 

ただ彼の「何となく」はただ適当なことを言っているわけではなく、膨大な知識量と膨大な試行錯誤に伴う経験に基づいてその時々の判断をしている訳です。

言語化するのが困難なだけで、一瞬一瞬に的確な判断を下しているからこそ、結果がついてくるわけです。

 

新人セラピストの「何となく」と、素晴らしいセラピストの「何となく」は全く意味も内容も違います。

 

天才と呼ばれる彼も、初めは凡人だったはずです。膨大な知識とそれを常に臨床に照らし合わせ、患者さんの結果と客観的に向き合い、良し悪しの判断基準がより細かく、そして速くできるようになった結果だと僕は勝手に思っています。

 

この数値化できない部分の良し悪しの判断が、若いセラピストの方には悩むところだと思います。

 

ですが、この数値化できない部分を真剣に考えることが、結果として数値化できる部分にもより良い形として反映していくと思います。

 

 

今後もBRIDGEでは、この数値化できない部分の良し悪しを判断できる能力を伸ばす、ためのセミナーでありたいと思っています。様々な研究者の方々が、新しい知見を発表してくれています。その知見を実際の現場で活かすためには最終的には患者さんに直接向き合うセラピストに委ねられると考えているからです。

どれだけ新しい知見が出てきたとしても、セラピスト一人一人の思考や行動が変わらなければ、いわゆるROM訓練や筋トレ、動作の繰り返しだけといった「昔ながらのリハ」を行っている現場がまだまだ存在しているという現実は変わらないと思うからです。

 

 


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