考察は深く、でも治療はシンプルに。
僕が最近思うことは
・患者さんは病前と全く同じ(正常)歩行には戻らない。
・新しく歩行を学習する。
麻痺などの機能低下が起こった体で、全く病前と同じ歩行をしようとすれば、必ず代償がでるのは当たり前です。
病前の内部モデルを使おうとしても、それに見合う機能がなければ、自己組織的に体は適応させる。
つまり代償。
じゃあ、、代償はなるべく少ない方がいいか?(ここではきれいな歩容とします)
僕はこの問いにはある意味Noです
片麻痺患者さんは、身の回りのことは自立できるが、外までは参加できないという方が多いです。
だから、家には帰ったが、やることがない、役割がない、人と話す機会がない、つまり人と接する機会が極端に減ります。
だから僕は、屋外をなるべく楽に移動できる歩行にしたい。そしてどんどん社会へまた参加して頂きたい。
もちろん、歩容が良いことは効率が良く、自由度が高く、バランスも安定しやすく、歩容が良いことに越した事はないと思います。
でもどこまで、その正常な動きを促通するのでしょうか?
代償を極力抑えて治療すると、どうしても臥位やベッド上での時間が長くなると思います。
それは坐位・立位になるにつれ、代償が出るからです。
でも、その時間に廃用は起こっていきます
麻痺肢の不使用によるさらなる運動野の萎縮。
麻痺肢を使わない、認識する機会が減り、ボディーイメージの形成にも関わるでしょう
実質の筋力も落ち、活動性全体が落ちれば、呼吸循環系、意欲、とうとうにも必ず影響します。
なら、逆にエビデンスにあるように、どんどん歩けばいいのでしょうか?
これもNoです。
代償が定着すれば、そこから変えていくのはさらに難しいです。一旦皮質下で学習が定着すると、本人がそれを変えたいと注意が向かないと、なかなか難しいです。
そして想像して欲しい。
歩行ができない方に、歩行の練習はかなりの負荷が高い。できないことをできるようにしようとしているのだから。
それには準備が必要。
車椅子にずっと座って体を動かす機会がなく、自分も麻痺した身体の感覚も乏しく、お尻も痛い。。。
そんな中でいきなり歩く。
部活の試合に、寝起きでやれと言われたらどうか。体は上手く動くはずがない。
だから歩く準備もとても大切。
僕は5分や10分程度歩く前に、ボディーイメージを作る練習や、非麻痺側の過活動を落としてから歩きます
つまり、バランスが大事!
全く頭頂葉で自分の体が認識や使い方が分かっていない人に、過剰に、恐怖的に、歩行をしても良い学習はできません
学習とは余裕・安心感がある中で、自分の歩行に潜在的に意識が向き、気づきが得られ、学習や変化につながっていきます。
逆に歩くと代償バンバンだからと、寝てばっかりいても、それは悪です
なんとか歩けました!10m歩行、50秒です~
よりも代償があるかもしれないが、10m歩行30秒です。の方が良いのかもしれない。
あまりに代償を抑えて正常や歩容に固執すると、このような弊害が生まれると僕は思います
そして患者さんは、30秒で歩く経験をしないまま退院すれば、50秒のまま歩き続けます。
(外来やデイに行って練習しないかぎり)
何が言いたいかといいますと!
病前と同じ歩行には戻らない。
そして、新たに歩行を学習するということ!なんです
学習!なので、課題特異性、転位性、練習量が重要です
つまり行った課題特異的に学習し、よりその動作に近い動作ほど転位しやすい。
歩行の学習には、歩行が一番よいということです。
部活でも同じでどんなに基礎練習を頑張っても、試合をしなければ上達しないのです
より歩行に近い練習をするために、装具やハンドリング、杖などがあり、それらを駆使して、患者さんがより安心して、過剰でない歩行機会を経験させる必要があります。
そして練習量を確保する。(よい反応をたくさん出しながら歩く)
その前提で、機能的に足りないとことは、もっとレベルの低い課題や環境で練習はする必要はもちろんあります。
長々となりましたが
改めて最近強く思うのが、「訓練内容の割合をどうするか」です。
床上動作ばっかりでもダメですし、歩く練習ばっかりもダメ。
与えられた練習時間を、PTがどうコーディネートしていくか
脳的に、1つのことに注意が向くと、他のものは無視されます。
目の前の患者さんのneedsに合う練習はなんなのか?
90歳のおばあちゃんと、40歳の若い片麻痺患者では当然違う。
俯瞰的に考える。
患者さんのneedsと照らし合せ、機能を最大限に高めつつ、代償も許し、needsに合った歩行の学習を提供していく。これが大事。
そのために歩行の学習に、優先度の高い課題や練習を選択していく。
屋外で歩行をするには、、、
誰かに自分の歩きを見られるという経験もとても大事です。
そういうことを乗り越えられるという性格的要素も影響しますが、
僕らが実際にそういう経験を作ることも大事です。
外で歩けるんだという1歩を踏み出す勇気を与える・・・
あと、最終的にぼくらは実際に自分が関わらせていただいたが患者さんが、実際どうなのか?を真摯に受け入れる必要があります
あんだけ代償は押させろ!と言っていたって、どんだけエビデンスが大事や!言ったって
実際の患者さんが、退院したらどうなんだ!?家の中ですっかり活動量落ちて、何かやる時間もなく、生活していたとしたら。。。
本当の社会復帰、リハビリテーションと言えるのでしょうか?
こんな当たり前のことを考えています。それくらい原則原理が大事だと改めて感じています。